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2020年12月02日

令和2年11月25日(水)午前7時40分

 令和2年11月25日(水)午前7時40分



 もう一月が経ってしまった。

 中々、向き合うことが出来ない。
 忘れることが嫌で、言葉に残しておきたいと思いつつ、
 対峙することが出来ないでいる。

 9年間、一緒にいた猫が逝ってしまった。
 後悔ばかりでいる。
 自分の力量のなさに。

 12月27日(日)



 5年前の10月、5年生になる次男が白地に黒のブチが入る子猫を拾ってきた。
 生まれて、ひと月も経っていない手のひらに乗る大きさの子猫だ。
 一匹だけで捨てられており、瀕死の状態だった。

 とてもやせており、皮膚には点状の出血も多数見て取れる。
 目ヤニもひどく目もちゃんと開けない状態。
 体温も低下しており、震えている。

 衰弱がひどく、ほっておけば一日も持たないことだろう。

 とりあえず、体温保持と汚れを落とすため暖かいシャワーできれいに
 することにした。

 嫁さんと二人掛かりでとりかかる。
 
 風呂場に連れていき、よく体をみると、
 えらくたくさんのノミがいる。
 信じられないことだが、皮膚の出血はノミに多数噛まれたことによる
 出血班だった。

 お湯をかけながら、爪でノミをつぶしていく。
 つぶしたノミは200匹を超えた。
 こんな小さな体でこの数のノミ。
 貧血で死んでもおかしくないような状態だった。
 こんな数のノミは見たこともなかった。
 
 こんな小さな体にこれだけ寄ってたかるとは。
 よくがんばって生きていてくれた。
 本当によくがんばった。

 回復するかどうかはわからなかったが、
 体を清潔にして、体温確保のため段ボールに毛布を敷き、
 ペットボトルにお湯をいれタオルでくるみ、
 体にあてがう。

 補液は出来ないので、薄めた砂糖水をシリンジで口に少しづつ
 与えていく。
 のども乾いていたようで少しづつなめ始める。
 何かしら、口に入れれば回復の可能性は高くなる。
 ポカリスエット、牛乳と種類を変え、高たんぱくの飲み物を少しづつ与えていく。

 そうしてどうにか回復してくれ、そこから一緒の生活が始まった。

 令和3年1月1日



 野生動物(?)の回復力には驚かされる。
 あれだけ衰弱しており、瀕死の状態であったネコは、2日もすると何事もなかったように
 元気になった。
 真っ白な体毛に顔の一部、しっぽに黒が入ったとてもきれいなネコ。
 体毛は長めで、ペルシャあたりの血が混じっているのだろうか?
 とても素直で純真無垢、賢く、やさしい、とてもいい猫だ。性別はおそらくメスだろう。
 こういったネコは今の住所地になって10匹近く保護してきた。
 病院でワクチンを接種し、去勢、避妊をしたうえで、広報誌などに掲載し、飼い主を見つけ、
 問題のない人であれば譲渡をしてきた。(ほぼ、嫁さんが工面してくれた。)

 今回もそのつもりでいた。
 動物を飼えば必ず別れが来る。いままでもイヌ、ネコを含め数種の動物と生活を共にしてきたが、
 絆が深ければ深いほど別れの際の消耗度が激しい。
 それが嫌で、同居の選択はなかった。
 ところが、この猫、家族皆が一緒にいようと進言してきた。
 一応、最終決定権は自分にある。自分は嫌だった。
 別れる際の悲しい気持ちを受け入れる準備ができない。

 結局は受け入れることになる。

 震災の年2011年10月、共同生活が始まった。

 令和3年1月13日(水) 四十九日


 共同生活を送ることになった、小さな白い猫はミコと名前を付けた。
 片手の手のひらに乗る小さな猫。
 末娘のままごとセットの小さなシルバニアファミリーの家の模型の中にすっぽり収まる大きさ。

 当然、トイレの習慣がないので、トイレを覚えるまでは、就寝は1階で過ごさせた。
 階段の段差も登れるような大きさではない。
 家族はみな2階で寝ているため、一階にはミコが一人きりになる。
 階段の段差は登れるような体のサイズではなかったのだが、
 夜はさびしいのだろう、すぐに2階に来ることを覚えてしまう。

 トイレが心配だったが、2,3日もするとトイレもできるようになった。
 布団のなかでねむるようになる。暑ければ、布団の上に乗って眠る。
 こたつで横になっている時も必ず腹の上に乗ってくる。
 とても甘え上手で、まったく裏表の感情がない。
 すべての感情を隠すことなくぶつけてくる。
 だが、怒りだとか、疑う、といった類の負の感情は持ち合わせていないのか、尊敬したくなるほどの無垢さなのである。

 たちまち、家族皆が好きなってしまった。

 自分も完全にやられてしまった。すぐに、居なくなったらどうなるのだろうと心配になるくらいの心酔である。
 ミコも自分を好いてくれた。魚を持ってくるのと、遊び友達だったことが大きいだろう。

 初めて釣ってきた魚をあげたのはキスだったと思う。ひとつになる前の夏ごろだったと思う。
 釣ってきた生の状態のキスを開きにさばき、目の前に持っていくと、目の色を変え食べだした。
 興奮状態で、ウーウーと威嚇をしながら食べている。
 キスの位置を変えようと手を出そうとすると、ネコパンチを繰り出す始末である。取られてなるものかといったところ。
 取る気はないよと言っても、聞き入れるはずもなく、夢中でかぶりつく。

 魚が大好きで、それから10年弱、釣ってきた魚をあげるのが習慣だった。
 自分もミコが喜ぶのが楽しみで、魚をキープすることは目的のひとつだった。

 ミコにも魚の好みがあるようで、あげた魚の中ではマゴチがすきだったようだ。
 それからブダイ。この魚は大御所先輩が伊豆で釣った貰い物だった。
 申しわけないのだが、人間側はそんなにおいしい魚とは思えなかったのだが、
 ミコにとってはごちそうだったようで、かなり喜んで食べていた。

 アジは、最初のころはかぶりついていたのだが、持ってくることが頻繁になると、
 見向きもしなくなってしまった。
 目の前に出すと臭いをかいで、またこれなの?といった具合だった。
 マハゼも好きではなかった。
 
 魚をクーラーで家の中に運ぶと、わかっていて、すぐにねだりに来る。
 魚を捌くのは自分の役目なので、自分が台所に立つと必ず寄ってきて催促をする。

 自分と台所作業台の間に滑り込み、立ち上がり、ニャーニャーと顔を自分の足にこすりつけるのだ。
 当然、台所に立つのは魚を扱うだけではないのだが、台所にいるだけで必ず寄ってきた。
 楽しみでしようがなかったのだろう。
 
 魚を捌く際は、包丁を持ち出し、捌く前に棒やすりで包丁を研ぐのだが、
 シャーシャーと棒やすりで研ぐ音が聞こえると、2階で寝ていたとしても台所まで飛んでくるのである。
 窓際で寝ていても、寝ぼけ眼で飛んでくる。

 少しでも包丁を取り出した音がすると飛んでくる。
 本当に不思議で2階からでも飛んでくるのだ。
 あまりの慌てぶりに、カーブをまがる際、後ろ脚はドリフト気味で空回りをする始末。
 魚をかぎつける能力は理解できないほど天才的だった。
 
 それだけ好きだった魚を、亡くなる一月前あたりから食べることが出来なくなってしまった。
 食べたい気持ちはあり、いつものように足元に寄ってくるのだが、
 魚を差し出しても臭いをかぐだけで口を使うことが無くなった。
 食べたいのだが食べられない。みていてつらくなってしまう。
 あれだけ好きだった魚さえも食べられなくなってしまった。
 体調が悪く、受け付けないのだろう。

 令和3年2月25日(木) 月命日 3か月



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